2008.12.20 Saturday
父と映画と「カフー」の奇跡
気がつくと、前回ブログをアップしてから7か月が経過してしまった。
その間、出版された本が4冊。本を世に出す頻度のほうがずっと高い。
つまり、もうこれはブログって呼べないんじゃないか・・・。
などと思いつつ、気を取り直して久々にブログを書く(って前置きしている時点でもうブログっぽくないが)。
12月、ふたつの映画にまつわるできごとがあった。
ひとつは、映画をテーマにした長編「キネマの神様」が出版されたこと。もうひとつは、映画「カフーを待ちわびて」が完成して、その完成披露試写会に行ってきたことだ。
そしてその両方に、私の父が関わっている。
私の父は昭和元年生まれ、来年の1月で83歳になる。心臓のバイパス手術もし、事故で足も悪くしたが、なんというかものすごく元気な老人だ。生きるはりあいになるからと、近所の公園のそうじ係を買って出て、ご近所の小学生からホームレスまで顔が広い。ものすごい読書家で、兄と私の書いたものはどんなささいなものにもすべて目を通し、的確な感想を述べてくれる。そして5歳の頃から見続けた映画にいまだに情熱を注ぎ、最近は家でも衛星放送で名画が観られるので、多いときは1日に2−3本も映画を観ている。
と書けばものすごい博識の老師のようだが、実はわりと最近まで麻雀と競馬が好きで家族を困らせ通しの人でもあった。このあたりは兄が早い段階で小説にしているから(「十九、二十」「しょうがない人」「父の印象」などに登場している)、原田きょうだいの父がどんなに大変な人だったか、知っている方も多いと思う。私はこの父と長らく人生を共にして、いつか小説にしたいしたいと考え続けてきた。作家になるはるか昔から、そんな思いがあったような気がする。ずっとさかのぼれば高校生のころから、漠然と考えていた。とにかくすごい人だ。いくつになっても、生きることをやめないエネルギーを放出している。
デビュー直後に文藝春秋の編集者の方々から連載のお話をいただき、去年―今年にかけて「別冊文藝春秋」で連載をさせていただいた。それが、「キネマの神様」である。そしてこのほど、単行本にまとまって出版された。簡単に要約すると、ギャンブルと映画が好きで家族に迷惑をかけ通しの父親と、その父にいつも泣かされてきた母と、40歳手前にして会社を突然辞めてしまった娘の話だ。社会の底辺を漂流するかのように見える家族。が、映画をこよなく愛する父と娘に、奇跡が舞い降りる。そんな物語だ。
前半1/3 はほぼ自分の体験談に基づく話になっている。あとの2/3は大人のファンタジーという感じ。切ない思いを胸いっぱいに抱きしめながら書き上げた。作中、いくつかの映画評論が重要な役割として出てくるのだが、ぜんぶ自分で創作した。これを書くのはけっこう大変だったが、同時に楽しく、このためにたくさんの名画もみた。映画にはまったくシロウトの私だが、こういう物語を書くことができたのも、実は人生を通して映画に親しんだ父がいてくれたからこそ、と心中感謝している。どうしようもなくにくたらしくもあるんだけれど、いっぽうでどうしようもなくいとおしい存在である父。この父がいたからこそ、いま、私が小説を書くいちばんの理由が生まれたようにも思う。
その父と母とともに、映画「カフーを待ちわびて」の完成披露試写会に出かけた。
前回のブログに書いた「シュークリームを差し入れした」ロケ見舞いから7か月、想像以上にすばらしい映画に仕上がっていた。原作のいい場面をよく活かしていただき、映画を観ているあいだじゅう、私の胸は「ほろっ」とか「きゅーん」とか「ことん」とか、いろんな音を立てた。両親が隣にいたから、よけいにそうだったかもしれない。
映画には何かと辛口な父だが、好きになったら何度も繰り返し見る人だ(「風とともに去りぬ」などは何十回も観ている)。その父が、終わってひとこと「よかった。とても純粋で」と言った。そのひとことに、この映画の最善の特徴が凝縮されている、と思った。
地球が破滅したり死んだ人がよみがえったり、映画の世界ではどんなドラマも事件もありだ。そしてCGを使えば、どんな大がかりな戦争も宇宙空間もリアルに描き出せる。けれど、この映画には爆発も略奪も闘いもない。淡々とした人間の営みと、手を触れただけでどぎまぎしてしまう恋人たちがいるだけだ。ただそれだけなのに、涙がこぼれそうだった。
映画を観ているあいだじゅう、隣の席の父がじっとスクリーンに吸い寄せられているのがわかった。父と娘が並んで映画を観る、それは「キネマの神様」のエンディングのシーンでもある。たとえば家族で一緒に好きな映画を観る、そんなさりげない人間の営みこそが、人生の最大の奇跡なんだ。小説の中に書き綴ったことが、実際に、私たち家族に起きた。そんな思いが、いっそうこの映画を感動的なものに見せてくれたのかもしれない。
試写会が終わって、私はしみじみ心の中で感謝をした。出演者の方々に、映画を作り出してくださったすべての方々に、来場者のみなさんに、家族に・・・・・・そしてたぶん、会場のどこかにいたであろう神様に。
その間、出版された本が4冊。本を世に出す頻度のほうがずっと高い。
つまり、もうこれはブログって呼べないんじゃないか・・・。
などと思いつつ、気を取り直して久々にブログを書く(って前置きしている時点でもうブログっぽくないが)。
12月、ふたつの映画にまつわるできごとがあった。
ひとつは、映画をテーマにした長編「キネマの神様」が出版されたこと。もうひとつは、映画「カフーを待ちわびて」が完成して、その完成披露試写会に行ってきたことだ。
そしてその両方に、私の父が関わっている。
私の父は昭和元年生まれ、来年の1月で83歳になる。心臓のバイパス手術もし、事故で足も悪くしたが、なんというかものすごく元気な老人だ。生きるはりあいになるからと、近所の公園のそうじ係を買って出て、ご近所の小学生からホームレスまで顔が広い。ものすごい読書家で、兄と私の書いたものはどんなささいなものにもすべて目を通し、的確な感想を述べてくれる。そして5歳の頃から見続けた映画にいまだに情熱を注ぎ、最近は家でも衛星放送で名画が観られるので、多いときは1日に2−3本も映画を観ている。
と書けばものすごい博識の老師のようだが、実はわりと最近まで麻雀と競馬が好きで家族を困らせ通しの人でもあった。このあたりは兄が早い段階で小説にしているから(「十九、二十」「しょうがない人」「父の印象」などに登場している)、原田きょうだいの父がどんなに大変な人だったか、知っている方も多いと思う。私はこの父と長らく人生を共にして、いつか小説にしたいしたいと考え続けてきた。作家になるはるか昔から、そんな思いがあったような気がする。ずっとさかのぼれば高校生のころから、漠然と考えていた。とにかくすごい人だ。いくつになっても、生きることをやめないエネルギーを放出している。
デビュー直後に文藝春秋の編集者の方々から連載のお話をいただき、去年―今年にかけて「別冊文藝春秋」で連載をさせていただいた。それが、「キネマの神様」である。そしてこのほど、単行本にまとまって出版された。簡単に要約すると、ギャンブルと映画が好きで家族に迷惑をかけ通しの父親と、その父にいつも泣かされてきた母と、40歳手前にして会社を突然辞めてしまった娘の話だ。社会の底辺を漂流するかのように見える家族。が、映画をこよなく愛する父と娘に、奇跡が舞い降りる。そんな物語だ。
前半1/3 はほぼ自分の体験談に基づく話になっている。あとの2/3は大人のファンタジーという感じ。切ない思いを胸いっぱいに抱きしめながら書き上げた。作中、いくつかの映画評論が重要な役割として出てくるのだが、ぜんぶ自分で創作した。これを書くのはけっこう大変だったが、同時に楽しく、このためにたくさんの名画もみた。映画にはまったくシロウトの私だが、こういう物語を書くことができたのも、実は人生を通して映画に親しんだ父がいてくれたからこそ、と心中感謝している。どうしようもなくにくたらしくもあるんだけれど、いっぽうでどうしようもなくいとおしい存在である父。この父がいたからこそ、いま、私が小説を書くいちばんの理由が生まれたようにも思う。
その父と母とともに、映画「カフーを待ちわびて」の完成披露試写会に出かけた。
前回のブログに書いた「シュークリームを差し入れした」ロケ見舞いから7か月、想像以上にすばらしい映画に仕上がっていた。原作のいい場面をよく活かしていただき、映画を観ているあいだじゅう、私の胸は「ほろっ」とか「きゅーん」とか「ことん」とか、いろんな音を立てた。両親が隣にいたから、よけいにそうだったかもしれない。
映画には何かと辛口な父だが、好きになったら何度も繰り返し見る人だ(「風とともに去りぬ」などは何十回も観ている)。その父が、終わってひとこと「よかった。とても純粋で」と言った。そのひとことに、この映画の最善の特徴が凝縮されている、と思った。
地球が破滅したり死んだ人がよみがえったり、映画の世界ではどんなドラマも事件もありだ。そしてCGを使えば、どんな大がかりな戦争も宇宙空間もリアルに描き出せる。けれど、この映画には爆発も略奪も闘いもない。淡々とした人間の営みと、手を触れただけでどぎまぎしてしまう恋人たちがいるだけだ。ただそれだけなのに、涙がこぼれそうだった。
映画を観ているあいだじゅう、隣の席の父がじっとスクリーンに吸い寄せられているのがわかった。父と娘が並んで映画を観る、それは「キネマの神様」のエンディングのシーンでもある。たとえば家族で一緒に好きな映画を観る、そんなさりげない人間の営みこそが、人生の最大の奇跡なんだ。小説の中に書き綴ったことが、実際に、私たち家族に起きた。そんな思いが、いっそうこの映画を感動的なものに見せてくれたのかもしれない。
試写会が終わって、私はしみじみ心の中で感謝をした。出演者の方々に、映画を作り出してくださったすべての方々に、来場者のみなさんに、家族に・・・・・・そしてたぶん、会場のどこかにいたであろう神様に。
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